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東京地方裁判所 昭和62年(刑わ)2398号 判決

主文

被告人を懲役二年六月に処する。

未決勾留日数中二五〇日を右刑に算入する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和四七年○○大学法学部法律学科に入学後、全国反帝学生評議会連合(以下「反帝学評」と言う。)に所属していた者であるが、かねてから対立抗争を続けていたいわゆる革マル派が、昭和五〇年六月二四日、伊豆にあるA方別荘において、反帝学評所属員を襲撃し死傷者を出した事件の一周年を迎えるにあたり、革マル派に対する報復を企図していたところ、

第一  B、C、Dら十数名の者とともに、昭和五一年六月三日午後零時三〇分ころから同一時五分ころまでの間、東京都千代田区紀尾井町七番地上智大学構内において、革マル派に所属する者らの身体に対し、共同して害を加える目的をもって、多数の二段伸縮式鉄パイプを所持して集合し、もって他人の身体に共同して害を加える目的をもって兇器を準備して集合し、

第二  前記Bら十数名の者と共謀の上、同日午後一時五分ころ、前記上智大学構内において、革マル派所属のEことF(当時二五歳)及び自称G(自称当時二二歳)に対し、こもごも前記二段伸縮式鉄パイプで両名の頭部等を殴打する暴行を加え、よって、Fに対し全治まで約一か月間を要する頭部外傷、脳挫傷、左耳裂創、全身打撲、右第四中手骨骨折の、Gに対し全治まで約二か月間を要する頭蓋骨骨折、左急性硬膜外・硬膜下血腫、脳挫傷の傷害を負わせ

たものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(弁護人の主張に対する判断)

一  違法収集証拠の主張について

1  弁護人は、当公判廷で取り調べた佐藤富三の検察官に対する供述調書添付の写真二枚、Dの検察官に対する昭和五一年八月二三日付供述調書謄本添付の写真中の一枚(写真二)及びBの検察官に対する同日付供述調書添付の写真一枚は、いずれも被撮影者の承諾なく撮影されたものであるところ、このような撮影が許容されるのは、現に犯罪が行なわれている場合、あるいはこれに準ずる場合で、証拠保全の必要性と緊急性があり、撮影方法が相当であるという要件を満たした場合に限るのに、本件の場合はいずれの要件も満たしておらず違法であり、これらの写真及びこれを添付した前記各供述調書は違法収集証拠として証拠能力を有しない旨主張するので、この点につき判断する。

2  前記各写真はいずれも横断歩道上を歩行中の同一の二人の男が写っているものであり、Dの前記供述調書謄本添付の写真二が佐藤富三の検察官に対する供述調書添付の二枚の写真の一方と同一であり(以下「本件写真1」と言う。)、Bの前記供述調書添付の写真が他方と同一のものである(以下「本件写真2」と言う。)ところ、証人武藤奈津夫及び同中村忠明の当公判廷における各供述並びに裁判官後藤登作成の逮捕状謄本によれば、本件写真が撮影されるに至った経緯、撮影状況は次のとおりと認められる。

(一) 昭和五〇年一〇月二七日、東京大学構内において、革マル派の学生が、十数名の者によって鉄パイプ等で殴打され死亡した殺人事件(以下「東大事件」と言う。)が発生したが、事件後に出された犯行声明、遺留された鉄パイプの特徴、目撃者の供述等から右犯行に及んだのは反帝学評に所属する者であるとの嫌疑が濃厚であった。

(二) 東大事件の目撃者の証言により、Hなる人物が同事件に関与していた疑いが生じていたところ、このHが当時住んでいた世田谷区深沢のアパート○○荘の居室にはIなる人物がよく泊まり込むなどしており、このIは、昭和五〇年夏ころまで世田谷区○○町にあるアパートに住んでいたが、同人がそこから所在不明になった後、管理人が心配してIの父に連絡し、同人とともにIの居室を調べたところ、「反帝学評」と書かれた青色ヘルメットや、当時反帝学評以外のセクトは使わない二段伸縮式鉄パイプ等が遺留されていた。

(三) 昭和五一年三月ないし四月ころ、Iが杉並区××所在の△△方というアパートを××名義で借りていることが、その家主に人相等を照会した結果判明したことから、そのIの居室への出入り状況を捜査したところ、前記Hの外Jら反帝学評所属の者が出入りしていることが確認され、また、やはり東大事件の目撃者の供述により事件への関与が疑われていた△△某なる人物が借りていた杉並区○○のマンション「メゾン○○」に、前記JやKなる人物が出入りしていることが分かり、このKも東大事件の目撃者の供述により同事件への関与を疑われていた。

(四) 昭和五一年六月三日には上智大学構内において本件が発生したが、これに前記Jが加わっていたことが判明し、同人は同年八月一四日本件を被疑事実として逮捕され、同年一〇月三〇日には本件により有罪の判決を受けた。

(五) このような捜査状況下で、東大事件の捜査を担当していた警視庁目黒警察署では、多数にのぼる同事件の目撃者に犯人を特定させるためには、前記Iの居室に出入りする七、八名の者の写真を目撃者に見せる必要があると判断し、昭和五一年五月下旬ころからその写真撮影を開始し、本件が発生し前記Jの同所への出入りが判明した後には、本件の犯人特定の目的も加えてこれを継続したのであって、本件写真1及び2はいずれもJの出入りが確認され同人に逮捕状が発布された後である同年七月一五日、武藤奈津夫巡査により撮影されたものである。

(六) その撮影は、前記Iの居室から最寄りの駅に行く途中にある通称四面道交差点を見通す建物の二階または三階の一室にカメラを設置するとともに、Iの居室近くに捜査員が張り込み、捜査員が同所から出て来た者のうち必要と判断した者のみを尾行し、四面道交差点を通り掛かった際、待機している撮影担当の捜査員に合図を送り、撮影担当の捜査員は、合図があった者のみを撮影するという方法で行なわれ、この場合、合図を受けたもの以外の人物が写真に入らないよう配慮していた。

3  以上を前提として、本件写真撮影が違法であるか否かにつき判断する。何人もその承諾なしにみだりにその容ぼう、姿態を撮影されない自由を有することは当然のことであるが、個人の有するこの自由も公共の福祉のため必要のある場合には一定限度の制限を受けるのであって、警察官が犯罪捜査の必要上被撮影者の承諾なく写真を撮影することも、一定の要件の下には許容されることがあると解すべきである。そして、この犯罪捜査の必要上被撮影者の承諾なくその容ぼう等の写真撮影が許容されるのは、弁護人が主張するように現に犯罪が行なわれている場合ないしはこれに準ずる場合に限定されると解すべきではなく、既に行なわれた犯罪の犯人特定のため容疑者の容ぼう等の写真を撮影することも、その事案が重大であって、被撮影者がその犯罪を行なったことを疑わせる相当な理由のある者に限定される場合で、写真撮影以外の方法では捜査の目的を達することができず、証拠保全の必要性、緊急性があり、かつ、その撮影が相当な方法をもって行なわれているときには、適法な捜査として許されるものと解すべきである。

そこで、本件につき検討してみると、本件写真撮影は殺人事件である東大事件、兇器準備集合・傷害(被害者二名で傷害の程度は一方は全治まで約一か月間を要し他方は全治まで約二か月間を要する。)事件である本件という二件の重大事犯の犯人を特定するために行なわれたものであり、被撮影者はIが偽名を用いて借りていた杉並区内のアパートの居室に出入りしていた七、八名の者らであるが、Iは殺人事件である東大事件の目撃者の供述から同事件への関与を疑われていた者と、そのアパートに泊まり込むなどして密接な交友を持っていた者で、その世田谷区内の旧住居の遺留物件からも、Iが東大事件及び本件の犯人が所属すると疑われていた反帝学評に所属し、鉄パイプ等を用いて非公然活動を行なっていたことが十分に窺われたところであり、同人が偽名を用いて借りていた杉並区内の居室も反帝学評の非公然活動の連絡場所等として利用されていた疑いが強かったものと考えられ、現に、同所に出入りしていた者の中には、やはり東大事件の目撃者の供述により同事件への関与を疑われていた者や、本件に関与したことが判明し、逮捕状が発布されていたJなどもいたのであって、これらの事情に、東大事件、本件とも反帝学評系の学生ら十数名による革マル派に対するいわゆる内ゲバ事件であることを併せ考えると、Iの居室に出入りしていた七、八名の者には、いずれも本件あるいは東大事件に関与していたことを疑わせる相当な理由があったと言うべきであり、これらの者に対する写真撮影は、その対象の限定において欠けるところもないと言うべきである。そして、いずれの事件とも十数名の共犯者による犯行であり目撃者も多数であったことを考えると、犯人特定の方法としては、これら目撃者をIの居室近くに捜査官とともに張り込ませ、いつ出入りするか分からない容疑者を待つということは事実上不可能であって、結局同所に出入りする者の容ぼう等を写真撮影して目撃者に示す以外に有効な方法はなかったものと言うべきである。また、本件写真撮影当時は東大事件から既に半年余り、本件からも一か月以上が経過しており、目撃者の記憶も日に日に薄れていく状況であったことから、証拠保全の必要性、緊急性も認められるし、前記認定の撮影方法からすれば、Iの居室から出て来る者のみを撮影の対象としていたものと認められるばかりでなく、それ以外の一般の歩行者ができるだけ写真に入らないよう配慮もなされていた上、被撮影者が公道上をその容ぼう・姿態を人目にさらしながら歩行しているところを少し離れた建物の一室から撮影しており、その身体に対して何らの強制力も加えていないのであって、撮影方法も相当なものと認められる。なお、被撮影者から姿を隠して密かに撮影することは、本件写真撮影の目的からすれば止むを得ないところであり、この一事をもって撮影方法が相当でないとは解すべきでない。

4  以上、検討してきたように、本件写真撮影は殺人及び兇器準備集合・傷害という重大事件の捜査のため、その対象を事件への関与を疑わせる相当な理由ある者に限定して行なわれたもので、捜査方法として代替性がなく、証拠保全の必要性、緊急性もあり、手段の相当性も認められるのであるから、適法な捜査として許されるものと解すべきであって、違法収集証拠に関する弁護人の主張は採用できない。

二  被告人が本件兇器準備集合、傷害の罪責を負うことについて

1  弁護人は、被告人が本件兇器準備集合、傷害の実行行為に加わった事実、あるいはこれについて共謀した事実についても、当公判廷で取り調べた証拠によっては証明十分と言えず、被告人は無罪である旨主張するので、以下、この点につき検討する。

2  証人C、同D、同Bの当公判廷における各供述、第二回及び第三回各公判調書中の証人金田芳彦、同勝又重雄及び同金澤邦助の各供述部分、金田芳彦及び勝又重雄の検察官に対する各供述調書謄本、医師村山享一作成並びに同山本征夫及び同鈴木匡共同作成の各診断書謄本等前掲関係各証拠によれば、判示日時場所において、B等反帝学評に所属する者らが判示の兇器準備集合、傷害の犯行に及んだことは明らかである。

3  そこで、被告人が本件犯行に関与したかにつき検討するに、B(八通)及びD(七通・謄本)の、検察官に対する各供述調書によれば、同人らは検察官に対して、それぞれ同人らが反帝学評の活動に参加するに至った経緯に始まり、本件犯行の背景、謀議の経緯、役割分担、犯行状況等につき詳述した上、本件の参加者について、Bは、「私はLから総指揮をとれと言われており、その覚悟でいましたから(本件当日上智大学の喫茶室に集合した際)誰誰が集っているか仲間の顔を一人一人目で追って確認してみたところ、前日耕路(本件前日池袋で襲撃者が顔合せのため集合した喫茶店)に集まった者はLを除き全員来ていました。つまり、M君、N君、D君、O君、明治の男、労働者二人、甲、乙、丙、それに所属地区が分らない男一人の全員が集っていました。」「今は、時間をはっきり覚えていませんがミラノ(本件襲撃後集合した池袋の喫茶店)への集合時間は午後三時から四時ころだったのでその時間に喫茶店ミラノへ行きました。そこには、Lが来ており、又私達の襲撃部隊では労働者二名と先程丙と申し上げた南部地区の眼鏡をかけた学生の三人を除く全員が来ていました。それは皆無事帰還したかどうか一人一人の顔を確認したので分りました。つまりミラノに集ったのは、L、私、N、M、D、O、明治の男、甲、乙、所属地区が分らない学生の一〇名です。そこで私はLに対し、上智の革マルを二名せん滅した、全員無事に帰って来たと思う、私の指揮が若干乱れたのでまずいところもあったと報告しました。」(昭和五一年八月五日付で全四六丁のもの)、「六月三日の上智大事件をやった仲間の学生とは前後に何回か顔をあわせておりますから名前は判らないまでも顔は全員良く知っていたのです。」(同月一〇日付で全九丁のもの)、「本年六月三日の上智大事件の際参加した男で私が前の調書でOと話した男は写真を見れば判ります。このOについても一年位前から反帝学評の集会などで顔を合わせ、みんながOと呼んでいることから名前を覚えたものです。また集会などの際地区別にまとまることがよくありますが、そんな時Oは東京南部地区の人達と一緒に居るので南部地区の学生であることは知っていました。(本件写真2を示されて)今見せられた写真のうち左側に写っている眼鏡を掛けていない男がOです。彼は六月三日の上智大事件に参加した一人で六月二日喫茶店耕路で顔合わせした時来ており、六月三日上智大喫茶室に集結した際にも来ているのを確認しました。犯行の際彼はNの防衛隊に属して行動しており犯行後喫茶店ミラノに集った際も来ていました。上智大事件以外では六月一一日に早稲田の革マルを狙って大隈記念館に集結した際来ておりました。」(昭和五一年八月二三日付)と供述しており、Dも、「(本件写真1を示されて)中央に二人の男が写っていますが、そのうち向かって左側の眼鏡を掛けていない男は六月三日の上智大事件に参加した学生の一人です。この人は五月二九日我々が集会帰りの革マルを狙って有楽町に集った時参加していたので顔を覚えた人です。学生だと思いますが通称名も所属地区も判りません。彼は六月二日の耕路における顔合わせに来ており、六月三日上智大喫茶室に集った際もおり、事件後喫茶店ミラノにも来ていました。」(昭和五一年八月二三日付)と供述している。

4  これらB、Dの検察官に対する各供述は、いずれも本件後三か月以内という比較的記憶の新しい時期になされたものであり、具体的かつ詳細で迫真性に富み、相互に矛盾もない上、もう一人の共犯者C(Bの供述中の「明治の男」)の検察官に対する供述調書謄本二通、本件目撃者である金田芳彦及び勝又重雄の検察官に対する各供述調書謄本等の関係各証拠とも矛盾がなく、その信用性は高いと言わなければならない。そして、両名の右各供述中、本件写真1及び2を示しての共犯者の特定についても、それぞれこの写真に写っている眼鏡を掛けていないほうの男(以下「写真の男」と言う。)とは本件に関して数回会ったほか、他の活動等でも顔を知っていた旨述べている上、とりわけBは、本件の総指揮者としての立場上、意識的に参加者の顔を確認したものと考えられるのであって、現に、本件に関する検察官の取調べの当初から、本件の参加者につき、全員の名前までは挙げられないものの具体的に特定し供述しており、「O」と称する写真の男の偽名も一連の供述の最初から本件の参加者として挙げている。これに加え、いずれも当公判廷において、Dは、検察官の取調べの際は当時の記憶のとおり供述した旨述べており、Bは、右の一連の検察官に対する供述調書で述べた内容を撤回したいと述べるものの、供述調書の内容については、参加していない人を参加したと認めるようなひどいことはしていない旨供述しているのであって、これらの点を併せ考えると、Oと呼ばれていた写真の男が本件の謀議に加わり、本件当日上智大学の現場に集合していたとのB、Dの前記各供述は十分信用でき、そのとおりの事実を認めることができる。そして、被告人の父Pの検察官に対する供述調書によれば、同人は、検察官から本件写真1及び2を示されて、BがOと呼びDも本件に参加していた旨述べている写真の男が被告人に間違いない旨供述している。以上の点を総合すれば、被告人が判示兇器準備集合、傷害の各犯行につきその謀議に加わり、本件当日情を知って上智大学に集合したこと、及び、本件傷害が被告人とBらの共謀に基づき実行され、被告人自身少なくともその現場に居たことを認めることができるのであって、被告人が判示兇器準備集合、及び傷害の共同正犯の罪責を負うことは明らかである。

三  公訴棄却及び免訴の主張について

1  弁護人は、本件起訴については次の理由から公訴棄却または免訴の判決がなされるべきである旨主張する。

(一) 本件起訴は、いわゆる「過激派活動家」と見なされていた被告人に対する転向強要及びその所属組織の破壊という政治的弾圧を意図してなされた「悪意の起訴」であり、公訴権の濫用にあたる無効な起訴として刑事訴訟法三三八条四号に基づき公訴棄却されるべきである。

(二) 本件起訴に至るまでの捜査の過程には次に挙げるような違法な点があり、このような違法な捜査に基づく本件起訴は、司法の廉潔性の観点から、憲法三一条以下の各条項及び刑事訴訟法三三八条一号により公訴棄却されるべきである。

(1) 被告人は、本件公訴事実を被疑事実として逮捕される前に、履歴書に他人名義を使用した事実により有印私文書偽造、同行使の罪名で逮捕されたが、文書偽造罪が予定しているような人格の同一性の齟齬を生ずるような事案ではなく、同罪の可罰的違法性を有しない場合であって、このような被疑事実をもとに逮捕するのは、いわゆる「過激派」に対する予防拘束及び転向強要を目的とするもので、被告人の思想信条を理由とする差別的な逮捕であり、また、未解決の他の事件に関する取調べを目的とする別件逮捕であって、憲法一四条、一九条、二一条、三一条、三三条、三四条、三八条、刑事訴訟法一九八条、一九九条以下、二〇三条以下の各条項に違反し、あるいはその趣旨に反する違法な逮捕である。

(2) 本件公訴事実を被疑事実とする逮捕は、いわゆる「過激派」とみなされた被告人に対する転向強要とその組織破壊といった思想弾圧を目的とした違法なものである。

(3) 本件捜査段階における被告人に対する取調べは、連日長時間にわたり、その間堅い椅子に座らせ、姿勢を崩すことも許さない状態で、罵声を浴びせたり脅迫するなどの方法によるものであり、精神的肉体的拷問に当たる上、専ら転向強要がなされていたのであって、憲法一三条、一九条、二一条、三一条、三六条、刑事訴訟法一九七条一項、一九八条一項に違反する。

(三) 本件公訴事実である兇器準備集合、傷害事件の発生から現在までに、一二年が経過し、本来の公訴時効期間満了時から五年が経過しており、時の経過による犯罪の社会的影響の微弱化と証拠の散逸による誤判の防止という公訴時効制度の趣旨からすれば、公訴時効の完成に準じて免訴の判決がなされるべきである。

2  そこで、まず、公訴権濫用の主張につき判断するに、前記二で検討したとおり、被告人が本件公訴に係る兇器準備集合、傷害の犯行に加わったことは、検察官が請求し、当公判廷で取り調べた前掲各証拠により認められるところであり、その事案の重大性に鑑みれば本件につき公訴提起に及ぶのは検察官の職責として当然のことであって、これが専ら被告人に対する転向強要とその所属組織の破壊を目的としたものとは到底認め難いのであって、弁護人の公訴権濫用に関する主張は理由がない。

3  次に違法捜査を理由とする公訴棄却の主張につき検討する。まず、有印私文書偽造、同行使を被疑事実とする逮捕に関しては、裁判官岡本民雄作成の逮捕状謄本及び被告人の当公判廷における供述によれば、右逮捕は、裁判官が発布した逮捕状に基づきなされたものである上、右事実については勾留請求されることなく、二日後には釈放されているのであって、弁護人が主張するように、右逮捕が、被告人に対する転向強要や他の事件の捜査などの、被疑事実の捜査以外を専らその目的としていたと認めるべき証拠はない。また、本件公訴事実を被疑事実とする逮捕及び捜査段階の取調べに関しても、その違法性を認めるべき証拠はないのであって、違法捜査を理由とする弁護人の主張は採用できない。

4  公訴時効完成に準じて免訴の判決をすべきという弁護人の主張は、独自の法律的見解に基づくものであって、採用できない。

四  以上のとおりであるから、弁護人の主張はいずれも理由がなく、採用することはできない。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法二〇八条の二第一項、罰金等臨時措置法三条一項一号に、判示第二の所為中、F及び自称Gに対する各所為はいずれも刑法六〇条、二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号にそれぞれ該当するところ、いずれも所定刑中懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪なので、同法四七条本文、一〇条により刑及び犯情の最も重い判示第二の自称Gに対する傷害の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役二年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中二五〇日を右刑に算入し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文によりこれを被告人に負担させることとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 村上光鵄 裁判官 清水 肇 裁判官 稗田雅洋)

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